防災の三助とは、災害により被害を最小限に抑えるための社会の仕組みを言います。
これだけだと、さっぱりわからないと思うので詳しく解説します。
防災の三助とは
①自助②共助③公助の3つに分類されます。
➀自助とは
自分と家族や財産を守るために、自ら防災に取組むこと。つまり「自分の身は自分で守る」ことです。
➁共助とは
となり近所や被災者同士で、互いに助け合うこと。つまり「みんなで助け合う」ことです。
➂公助とは
警察・消防・自衛隊・役所などの公的な支援のこと。つまり「行政の支援」のことです。
つまり三助とは・・・
自助(小さな単位)、共助(中くらいの単位)、公助(大きな単位)がそれぞれの機能を補うことで、災害による被害を最小限に抑えよう!という対策(考え方)なのです。
三助の起源とは
これは諸説ありますが、一番ポピュラーな説をご紹介します。江戸時代後期の出羽米沢藩9代藩主。上杉鷹山が言い出しっぺといわれています。
上杉鷹山は戦国大名で有名な上杉謙信から10代目。日向高鍋藩主秋月種美の次男から出羽米沢藩に養子に入りました。
彼は財政破綻した藩の立て直しのため「自助・互助・扶助」の「三助の実践」を提唱し、藩の財政を立て直した藩史に残る名君の誉れ高い中興の祖と呼ばれています。この「自助・互助・扶助」こそが、「自助・共助・公助」の起源と考えられています。
その後、この考え方は防災のみならず、日本では防災・感染症対策・社会保障制度の根幹となっているのです。すごい人ですねぇ。
大規模災害時の「公助の限界」
変化する自助・共助・公助(図)
東日本大震災では、行政が全ての被災者を迅速に支援することが困難でした。行政自身が被災して、機能が麻痺するような場合があったからです。地域コミュニティにおける自助・共助による「ソフトパワー」の機能が見直されています。
効果的な公助の展開には、発災後1週間程度はかかると考えておく必要があります。
求められる自助・共助力!
阪神·淡路大震災では約8割の人々が「自助・共助」により救出されました。災害対策の基本は、一人一人が防災意識を高め、「自助」の力を高めること。また自分一人では対応できなくなったとき、頼りになるのが「共助」です。
そして「公助」の手を円滑に被災者へ届けるためには「共助」との連帯が欠かせません。
被害の規模が大きければ大きいほど、「公助」の支援はやってきません。
政府は公助には限界があり、自助と共助の質と量を向上させることが防災対策として重要であると明言しています。
それにはまず、自助(備え)をパワーアップすること。そして、一人でも多く助ける側の人になること。共助のために、日ごろから地域の人たちと「顔の見えるお付き合い」をしておくことは大切です。少なくとも近所の人と顔を合わせたら挨拶をし、地域の役割や行事などには参加してみるのもいいでしょう。
30年以内に70%以上の確率で起こるといわれている「南海トラフ巨大地震」や「首都直下型地震」の被害は「東日本大震災」をはるかに超える規模となることが想定されています。
参考:内閣府 防災情報のページ
https://www.bousai.go.jp/